尾崎勝彦(徳洲会インフォメーションシステム株式会社 代表取締役社長)

私は昭和55年、大学卒業と同時に八尾徳洲会総合病院に薬剤師として入職しました。社会人としての第一歩は、故西村昭氏の大東市長選挙の応援でした。

薬局の仕事は朝8時前から夜11時まで座ることがほとんどなく、3日で辞めたくなりました。それを母親に相談すると「1週間は頑張れ」と言われ、立ち仕事で足が痛いと先輩薬剤師に告げると「2週間で慣れる」と言われて32年がたちました。

入職当時は抗がん剤の勉強をしたいと思っていましたが、任されたのは薬品管理。毎月、棚卸表を用意し、実作業が終わった後で在庫金額などを集計するというものでした。調剤などの日常業務をこなしながらの集計作業は2~3週間かかり、終わると同時に翌月の棚卸表を用意するという大変さでした。

この一連の作業を合理化できないものかと思案し、当時出始めたNEC製のパソコンを個人で購入。本を見ながら、プログラムを作りました。すると、棚卸の計算・集計は2~3日で終わるようになり、薬剤師としての勉強の時間もつくれて翌年には学会発表もできました。

これは、大変な仕事を任された自分が、「棚卸の作業を早くしたい」という願望を目標に変えたからこそ実現できたのだと思います。そのためには、まず具体的な行動計画を立て、期限設定をすることも必要でした。

その後、野崎徳洲会病院に異動し、初めて病院にパソコンを購入してもらって本格的に薬局の薬品管理プログラムを作成しました。当時は、IHS(現・株式会社徳洲会)との薬品受発注では現在のようなネットワークが構築されておらずに四苦八苦しましたが、やがてオンラインの医薬品受発注システムが完成しました。その後、このオンラインを利用して日報報告(現在の日報報告の原型)のシステムを構築しました。

新しいシステムが完成する前にいつも次の開発依頼(総務からの給与計算、医師からの糖尿病患者管理など)があり、薬剤師としての仕事と並行しながらのシステム開発業務は終わることがありませんでした。

現状を超えなければ組織やシステムは発展継続しない

平成元年、八尾病院に薬局長として戻った際には、オーダリングシステムの構築を任されました。電子カルテが必ず実現すると考えていたこともあり、私はソニーとの「電子カルテ共同開発プロジェクト」を進めました。それに3年を費やしましたが、医事会計システム構築の困難から失敗に終わりました。

その後、徳洲会グループは富士通とSSI(ソフトウェア・サービス)との2社並行でシステム導入を始めましたが、現在はSSIのものに一元化されています。その間、薬品管理や業務報告などのシステムを次世代に受け渡し、今では3世代目の継承者が新しいシステムを構築しようとしています。

技術やインフラは時代とともに発展するため、少しでも早く若い継承者を育てなければシステム全体が陳腐化してしまうのです。受け渡された者は、現状を超えるような発想と技術をもたなければなりません。

私たちの会社は今、徳洲会の理念や基本方針に照らし合わせて医療の質を検証するツールを構築しようとしています。開発会社は一元化できても、運用方法などの標準化が大きな課題なのです。徳洲会グループは国の医療情報データベース基盤整備事業にも参加していますが、これにより全国の医療情報が統一・標準化され、より質の高い医療を患者さんに提供できるようにしたいものです。

徳田虎雄理事長には、「仕事の報酬は仕事だ」と言われていました。能力があり、仕事ができる職員に新たな仕事を任せることで成長すると私も思います。「人にできることは任せろ」とも言われていました。若い職員たちに早く仕事を任せ、次の目標を設定して実行させていかなければと考えています。

現在、医療従事者は電子カルテシステムによる医療情報の共有で業務の合理化や安全管理などが可能になっていますが、患者さん自身はその情報を共有できません。つまり、今のシステムはまだ、"患者視点"に欠けているのです。その問題を解決した、次世代電子カルテシステムの構築が望まれています。

システムは生き物であり、日々成長し続けることで代替システムに置き換えられずに継続できます。私たちの組織もそれと同じで、成長するからこそ継続も得られるのです。

災害時でも継続して医療の提供ができる環境づくりを

東日本大震災で経験したように、病院にとってのライフライン ― 特に電力の確保は最重要課題です。徳洲会グループの病院には、サーバーの非常電源や天井の水漏れ対策などが整備されていない施設もあり、グループ全体の災害時のシステム管理体制は万全とはいえません。現在、情報システム部会で「院内設備の改善」、「情報伝達・共有方法の見直し」、「システムダウンに備えて」という3つの観点で整備案を作成し、着手できるところから改善しています。

石巻市立病院は津波でサーバーを流されましたが、1カ月足らずで再稼働して診療体制を整えました。山形の病院と相互でデータのバックアップをし、日頃のバックアップテープを耐火金庫に保存していたために患者データが守られたのです。

徳洲会の各病院にも、バックアップテープの耐火金庫保管を推奨しています。情報システムの危機管理体制を早急に整備し、災害時でも速やかに復旧できるような環境づくりをしなければなりません。大きな目標を達成するには、小さな目標を達成し続けることしかないのです。

グループ職員全員が理念の継承者となり、「いつでも、どこでも、誰でもが安心して最善の医療が受けられる社会」を目指すこと。目標はその一点です。

皆で頑張りましょう。

徳洲新聞2012年(平成24年)3/19  NO.817 より